About | 社長インタビュー

代表取締役社長

村松 博

PROFILE

1990年セコムに入社し、翌年より当社に出向。長く営業畑を歩み、東京支店長、総合推進本部長などを歴任し、2021年6月より現職。ランニングや山歩き、ゴルフなどアウトドア派を自認。休日には妻と子供たちに手料理を振る舞うことも。

入社2年目に命じられたのは、
名前も知らない
グループ会社への出向

私がセコムに入社したのは1990年、長嶋茂雄さんの「セコムしてますか?」のCMが始まった年でした。「社会システム産業」のビジョンを掲げ、事業分野を広げ始めた時期でもありました。1年ほど現金輸送の警備業務に従事した後、言い渡されたのはセコム保険サービスへの出向。設立して8年ほど経っていましたが、その存在すら当時は知りませんでした。恐る恐る出社してみると、従業員は50名くらいだったでしょうか、みんな若くて「自分たちがセコムの保険事業を担っていくんだ」という意欲にあふれていました。それを見て私も「いっちょやってみるか」という気持ちになったのを覚えています。

セコム創業者の飯田亮は、セコムが警備をすれば盗難などのリスクが下がるはずなのにお客様が払う保険料が下がらないのはおかしい、と考えており、そこからセコムのお客様にメリットを提供できる保険会社の設立を思い立ったそうです。ただ当時は異業種の参入がなかなか認められず、まずは代理店をつくってノウハウを蓄積しようとしたのが、当社設立の背景です。事故を未然防止する警備と、万一の事故が発生した場合に補償する保険を一体でやってこそ真のセキュリティを提供できるのだと、草創期に集められた社員たちは使命感に燃えていました。

良いときも悪いときも
仲間とともに成長を続ける

それから丸20年、ずっと東京支店で営業に明け暮れていました。節目となったのは、1998年のセコム損害保険の誕生です。グループの念願がかなって保険会社を持ったことにより、セコムのお客様に向けた火災保険などの割引が可能となり、取扱規模は一気に拡大していきました。その間に、課長や支店長もやらせてもらいましたが、ビジネスですので良いときもあれば悪いときもある。思うような展開が出来ず苦しい時期もありました。それでも志をともにする部下や仲間たちがいたから、ここまでやって来られたのだと思います。

2011年に本社に総合推進部が新設され、私はその部長に任命されました。企業規模の拡大にともない発生する新たな業務の受け皿として、そして次の成長に向けた戦略の立案が重要ミッションです。ずっと営業職で、とにかく実績を上げることだけに集中してきましたから、会社の全体像を俯瞰するのは初めての経験でした。そこで見えてきたのは、やはり会社というのは人が主役であるということです。この会社が今後も成長を続けるには、社員一人ひとりが高いモチベーションを保ち、持てる能力を最大限に引き出せる仕組みや取り組みが必要だと痛感しました。今も道半ばですが、強い組織・より良い組織をつくるべく全力で取り組んでいるところです。

なによりも大切なのは信用・信頼
そしてチャレンジ精神

一般的に保険の営業というと、家族や親類、友人など、個人的なつながりを最大限活用して保険契約をいただくイメージが非常に強いのではないかと思います。我々はセコムのお客様という広大なマーケットがあり、また、そのお客様向けに独自の割引制度を活用した損害保険商品を提供できるという二つの大きな強みがあります。グループ内には保険会社であるセコム損害保険もあり、お客様のリスクヘッジをセコムグループで一本化してお引き受けできます。このような仕組みを持っているのはセコムグループ以外には見当たらないと思います。
セコムは1989年(平成元年)に安心で便利で快適な新しい社会システムの構築をめざす「社会システム産業」元年を宣言しました。さらに「あんしんプラットフォーム」構想として、お客様に寄り添った切れ目のないサービスの提供をセコムグループとして目指しています。私たちは保険を通じてその一翼も担っているのです。

めざすべき会社組織を作り上げていく上では、やはり人材が最も重要です。セコムの提供
する安全・安心は、それを実践する人の信用・信頼から成り立っています。ですから、まずは人としての信用・信頼を勝ち取れる人物である必要があります。
同時に、業界としても、セコムグループの保険セグメントとしても、これから保険代理店としてどうあるべきかという課題に対してチャレンジしていく必要がある当社にとっては、若くて柔軟な発想が必要となります。

私たちの志に賛同いただける方のチャレンジを、心からお待ちしています。